第10章 殺しへの仕返しと復讐
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狩猟採集社会における血讐
「自助」という言葉で困るのは、それが、完全に個人的なものであることを匂わせている点
それとは正反対に、初期人類、さらにヒトになる以前の祖先においてすら、共通の目的に向かって協力することが完璧に可能であった
なによりも、彼らは血縁者の助けを当てにしていた
私たちの祖先である狩猟採集民たちは、主に血縁にもとづいた集団で暮らし、そのメンバーは、血縁関係から類推されるように、基本的に利益を共有していた
危険を避けるためには、まずは自分自身が手強い人物であらねばならないが、血縁者どうしの社会的結束と、それが他人を排除する力とは、もっとずっと重要だった
これらのことは現代の狩猟採集社会の研究から明らか
これらの社会では、多くの、または殆どの場合、殺人が起こるのは、それに先立って親類が殺されたことに対する復讐
グリーンランドからアラスカに至るまでのあらゆる地域で、しばしば流血事件が起こっている
極寒の飢饉のときに、彼らが子殺しや老人殺しをあえてすることは有名
成人期のイヌイトの男性はしばしば殺人の犠牲者になる
男性は、おもに他の男性の妻と駆け落ちするために、その男性を殺すようで、手強い親類がまわりにいない男性は、実際、犠牲者になりやすいらしい
「キャンプの中にいるよそ者は、特に妻と一緒の場合は、その他の人々に狙われやすい。女が欲しい連中によって殺されるかもしれない。彼は、女が欲しい連中によって殺されるかもしれない。昔は、そのような殺人があると、犠牲者の親戚が復讐のための隊を組み、戦争の進軍のようなことをしたものだった。」
この文献は、このような進軍が大虐殺に終わった一つの例について詳細に描写している
バリッキ(1970)の結論「復讐する側の目的は、本来の殺人者を殺すことにとどまらず、その血縁者も全員殺すことにある。ある意味で、血縁者たちは、殺人の共同責任を負っているのだ」
イヌイトにおける特徴
殺人によって妻を獲得する
その殺人の被害者の親類が復讐する
もともとの殺人犯人の親戚を標的にする
「目には目を」よりもずっと過激な復讐の虐殺が行われる
例えば、いくつもの大平原の野牛狩猟民族の男性は、近隣の集団から女性または馬を略奪し、そのためには所有者を殺すこともやぶさかではなかった
互いに報復しあう争いは、徐々に常習的な敵対と戦争状態へと移行していく
平原インディアンの間では、戦士の美徳は、狩猟採集民よりも原始農耕民や牧畜民においてより誇張されている 殺した敵の頭皮を手に入れること自体が殺人の動機となるのであり、アマゾン、ニューギニアなどの闘いを好む社会における青年と同様、若くて勇敢な者たちは、殺しを成し遂げたという栄光を得るためだけに、他部族の罪のない人間を殺し、それがまた、さらなる流血を招くことになる
ビオルシ(1984)によると、数百人の男性からなる「復讐行」は、「平原インディアンの大規模な戦争のもっとも普通の形態である」 互いに殺し合いの歴史を持っている平原インディアンの部族間の休戦協定は、非常に崩れやすい
平原クリーの首長であるサンダーチャイルドは、19世紀に、古くからの敵同士の間に同盟関係を作ろうと努力したが、いかにそれが個人的な暴力によって妨げられたかを語っている 例えば、パイチャックという名のクリーの戦士は、自分の妻を殺された復讐のために、ブラックフットなら誰でも殺すと誓った 彼は、ブラックフットの首長がクリーの首長のスイートグラスと休戦協定を結ぶために訪れたところを殺した
パイチャックは勝ち誇って自分の成功を触れ回ったが、数え切れないほどの人間が「血には血を!」という言葉で彼に和した(Ahenakew, 1973) 北西太平洋岸のいくつかの部族も、畑を耕したり牛を飼っていたりしていないので、狩猟採集民とみなされるかもしれない
しかし、彼らは漁業を営んでいるおかげで、他の地域では農業がない限り達成されないような、社会の階層化、労働の分業、富の蓄積が可能となった
これらの西海岸インディアンの間では、典型的な狩猟採集民よりも手の混んだ戦争が行われており、長期にわたる作戦行動、長距離の侵入、大掛かりな戦闘が見られる
このような戦闘を行う理由としてあげられているのはここでも復讐であり、個々の戦闘が行われる背景には、数多くの人々の個人的な恨みと血縁関係にもとづいた細かい事情が存在する
部族の内部での殺人は、これとは反対に「目には目を」の正確な公平さを持って復習される
もしもある人が殺されたり傷つけられたりしたならば、復讐するのは、その家族の仕事
国外に逃げてしまったならば、彼の家族の中の一人を殺すだけで満足する
一人のために2人が殺されたならば、2人殺された方の家族は敵のうちのもう一人を殺そうとするだろう
オーストラリア先住民は、狩猟採集文化に属するもう一つの大きな集団であり、アメリカインディアンと同様に、その勇猛さで知られている 血讐と、その他の侮辱(おもに女性の略奪)に対する報復とが、暴力の発生するおもな原因であるらしい
ワーナー(1937)は、アーネムランドのムルンジンの人々の間で、20世紀初頭の20年間に起こった72の戦闘に関する情報を集めている これらの戦闘で96人の男性が死んだが、その中には、夜中にこっそりと刺されて死んだものから、何十人もによる大規模な戦闘で命を落とした者もいる
72件のうちの50件は、親類が殺されたことに対する血讐として行われたもの
サンは人類学者たちによって、「おとなしい人々」
事実、彼らは、誰もが覚えているかぎりにおいて一度も戦争というものをしたことがない
リチャード・リー(1979)は、クン・サンが伝統的な狩猟採集生活をしていたときの50年間に22件の殺人が起こったことを記録している これは年間100万人あたりにすれば293件の殺人であり、暴力のないことで有名な社会にしては、驚くべき率である
他の大陸における狩猟採集民と同様、カラハリのクンも、親戚が殺されたことに対して復讐する
リー(1979)が述べているように「殺しがあれば、たいていは、それに対する復讐としてさらに殺しが行われる。22件の殺人のうちの15件は血族間の争いであった」
血讐が通文化的にみられることについて
復讐と血讐とは、農業の発明以後、ますます多く、ますます強度を増して行われるようになってきたことは明らか
クランなどの強い政治的な組織が存在しない狩猟採集社会では、復讐は、機会があるたびに行われていた 様々な実際的な理由により、復讐せずに済ませてしまうことさえあった
イヌイトやクンをはじめとする、階級のない社会の多くでは、殺人を一度しか犯していない者は罰を受けずに社会の中にとどまることもあるが、二度目の殺人は、集団的な処罰を受ける可能性が高い
これはもちろん、構成メンバーが倫理的な配慮をしたほうがよいと思っているような、十分に結束性のある集団で殺人が行われた場合
このような義務的ではない復讐は、階級のない狩猟採集社会の民族誌の中に繰り返しみられるもの
男が敵を殺したとしても、特に彼が罰を受けるということはないが、殺された者の友人や親類が彼の死に復讐しようとしても、それは許されることだ
殺人者は慎重を期するために、被害者の友人たちの悲しみや怒りが十分に静まったとわかるまで、どこかに隠れていることがしばしばある
強い階級的なクラン組織を持つような定住農耕社会になると、結成は聖なる義務の地位を得る
法律に関する人類学の初期の古典の一つの中のR・F・バートン(1919)のフィリピンのある原始農耕民族についての記述 「イフガオは一般的な法律を一つ持っている。それは、いくつかの例外を除き、戦争における殺人も、普通の殺人も、処刑によるものも、すべての殺人にあてはめられる法律だ。それは、命には命をもってつぐなわねばならない、というものである」 その他の部族も、法的な問題については同じようなアプローチをとっている
「殺された父親や兄弟や息子のために復讐することは、ジバロにとっての聖なる義務なのである…」 世界中のあらゆるところの社会に、殺された父親や兄弟に対する復讐の誓いがあり、そのような誓いを聖なるものとする儀式が存在する
復讐の殺人がどれほど通文化的に一般性があるのかどうかを確かめるために、60の社会の標準的サンプル(HRAF)を用いて、民族誌的な見当を行った。 「命には命を」という概念の証拠が一つでもあるかどうかを調べたが、それは、60の社会のうちの57で見つかった
このような証拠を一つも見つけることのできなかった三つの社会とは、カバガ(南アメリカ)、タイ、ドゴン(西アフリカ) ケルゼン(1946)をはじめとして、彼に続く多くの人々は、これほどシステマティックではない分析にもとづいて「死をもっての復讐は、そのような不正の目にあった人々が、古代より、あらゆる文化で行ってきたことだ」という結論を出したが、私たちの民族誌的調査はそれを裏付けるものである 「宿恨の従属変数は、殺人に続いて行われる血讐と定義される」とし、そのような「宿恨」は50のサンプルの社会のうちの28には「存在せず」、残りのうちの14の社会のいても「あまりみられない」と述べている
私たちの結果には、真の意味でこれと矛盾するところはなにもなく、定義の問題
「あまりみられない」: 殺された親類が、補償を受け取ることがときとしてある社会
「存在しない」: 殺人犯人を法的に罰する処置のある社会
彼らは、血讐が本当に起こっているかどうかを問うことはせず、それが法的に制度化されているかどうかだけを問題としている
そうだとしても「存在しない」の基準はまったく誤っている。この基準では、宿恨であれほど有名な19世紀のモンテネグロとアルバニアの社会は、宿恨がそんざいしないことになってしまう
私たちの調査から明らかなことは、血讐に訴える傾向というのはすべての文化でみられ、よって、それが「存在しない」ような社会はないだろうということ
民族誌は数量的データに欠けるので、これ以上に量的なデータを得ようとしても無駄
兄弟による利益集団
オッターバイン夫妻の分類は、社会がそれぞれどんな制度を持っているかについては情報を与えてくれる
オッターバイン夫妻が得た実証的な結果の基本的な部分は興味深いし、、妥当であるようだ
すなわち、非常に長く続く血讐は、父方居住で一夫多妻の社会に特徴的だということであり、それは、互いに競争する父系の集団または「兄弟による利益集団」によって組織されている社会ということ ユーゴスラビア共産主義の立役者の一人
近隣のイスラム教徒に対する首狩りの強奪が記憶に新しいような、対立を繰り返すモンテネグロの一族に生まれた
兄弟による利益集団が強力であるところでは、父方の親類のいない男性は、格好の標的
実際、何の理由もないように見える殺人をみてあっけにとられた宣教師や人類学者に対し、部族の人間が、犠牲者は親類がいなかったからという説明をすることがある
すべての社会において、殺すのはほとんど男性であるので、血讐と一族間の戦争は、男性の血縁集団の結束がアイデンティティを決め、なわばりを統一する基礎であるような社会で、とくに盛んに見られる
このような兄弟による利益集団の発達と血讐の制度化とは、その社会がどのような生計活動を行っているかによって、ある程度予測することができる
狩猟採集民は、しばしば、出自を父系母系の両方からたどり、どちらに住むかのパターンも場合によるので、なわばりをもった父系一族は発達しない
父系親族は、焼畑農耕民でのほうが強く、牧畜民の間ではさらに強く、普遍的に見られるようだ
もっと定住が進み、土地の所有が富の基盤となり、封建的家臣の関係が血族関係に取って代わるようになると、中央集権が発生し、一族で行っていた復讐の機能をも取って代わるようになるので、血讐は再び減衰する
一つの殺人が起こったあとでは、おそらく、一つの血讐でことが決着するのが普通なのだろう
両者の間で計算に食い違いが、もともとの殺しの正当性に関して両者の意見が異なったりすれば、果てしない宿恨を生むことになるだろう
報復は必ずしも殺人者自身に対して行われるのではなく、犠牲者と同じくらいの地位にある人物が好ましい標的とされるとなると、宿恨の動機がさらに生まれることになる
それぞれの兄弟利益集団が常に直面している恐ろしい結末は、敗北とライバル集団による殲滅
常に対立し、闘っている社会では、一番重要な男の美徳とは暴力
首狩りや暗殺は特権となり、ニューギニアのセピク河畔の住人においてそうであるように、殺人をしなければ成人になれないということにもなるだろう
復讐の動機の効用について
1858年、メキシコの騎馬部隊が、男たちが取引に出かけている間の平和なアパッチのキャンプを襲い、大虐殺を行った
1859年の熱、アパッチの4つの小部族の連合が、メキシコに対する復讐行にでかけた
ソノーラ砂漠のアリスペの町で大虐殺張本人たちに遭遇し、アパッチの首長達はジェロニモに統率を任せた
「私は首長ではないし、首長だったこともない。しかし、私は誰よりもひどく傷つけられた人間だったので、この名誉は私に与えられた……戦いの間中、私は、殺された母と妻と子どもたちのことを、そして、私の父の墓と私の誓いのことを考えていた。私は憤怒をもって闘った」
メキシコの軍隊は騎馬の二個中隊と歩兵の二個中隊とからなっていたが、彼らは大敗し、アパッチは彼らの最後の一人まで殺した(Geronimo, 1906) ジェロニモは、彼のアパッチ国家が崩壊し、絶滅にひんしているとき、刑務所の独房の中でこれを書いた
チャーチルの不満は、進化理論で言い直すことができる
復讐者は、もっと明瞭な実際的な追求を無視して自分自身を危険にさらし、もし成功したとしても、さらに、自分自身や自分の遺伝的近縁者に対する復讐を呼ぶ危険を冒している
競争者に損失を与えるために、自分(究極的には適応度)に対する損失を省みないという「意地悪」な動機は、自然淘汰によってやすやすと進化してくることはない 適応的な意思決定は、将来の利益と損失とを見越した評価の上に成り立っている
それに対する反論は、もちろん、復讐には抑止効果があるというもの
報復するという脅しは、真実のものでなければならない
スペンサーの議論は、もちろん、血族間の争いではなく個体間の競争を問題にしているので、致命的ではない攻撃に対する報復の話
闘争の相手だけでなくもっと広い範囲に宣伝されるのだとすると、「地位」や「顔」のための暴力を説明する私たちの議論(第6章 殺しの動機は口論と名誉)と本質的に同じ この議論は適応度上の利益を共有している、結束した血縁集団同士の競争にも容易に拡張できる
目には目を、歯に歯を
復讐の動機そのものよりもさらに説明しがたいのは、復讐は平等でなければならないとする、広く見られる感情
これは、血讐がきちんと互酬的になるように計算され、制度化されているような社会
首長の集まりで強盗や発砲などの悪い行いで有名な家族のすべての男児を殺す決定がくだされた
「彼らの血は悪いのであり、絶やさねばならない」
これは大虐殺の縮小版ではないだろうか
下部族内部での些細な争いは、正当な報復をするという個人的な血讐の性格を持っているが、異なる部族間の戦争は、原則的に皆殺しの戦争
目的は、敵の部族を完全に殲滅することにある
復讐者となることを恐れるため、誰一人生き残らないように注意する
アルバニアの戦士たちは、敵がそもそも挑発してきたのだということ、敵は遺伝的に劣った人間なのだということで、自分たちの殺人を正当化していた
それに対して、ジバロたちは、自分たちの動機が競争にもとづくものであることを、もっとやすやすと認めていた
しかし、両者の例において結果は同じ
みんなで一致協力して行うこのような暴力には、つねに、それを正当化する道徳的な言い訳が用意されているのだが、生かしておけば高くつく競争者を排除しようとしている殺す側の自己利益は丸見え
実際、機会を見て大虐殺をしようとする側には、何らかの倫理的立場がなければならない
このように過剰に復讐しようとする誘惑はつねにあり、実際にも、それはまれではない
「目には目を」は、復讐を均等化するようにさせる倫理的な禁止命令
人類学者やその他の著者の多くは、血讐が制度化されているのは、社会全体がよく機能するため、つまり、致死的な暴力を制御し、押さえるためであると考えてきた
すなわち、なんだかよくわからないが自発的なプロセスによって、個人ではなく社会全体のためになるような適応が生じるという過程
しかし、もちろん、復讐者は「社会」の保存のために行動しているのではなく、自分の「血族」の保存のために行動しているのであり、しばしば、たんに保存するだけでなく、その力と財産とを拡張しようとしている
そこで、厳密な規則にもとづいた均等な報復というものは、必然的に不安定な状態となるだろう
どちらかの側が自分に有利な機会をとらえ、確執に決着をつけようとする誘惑がつねに出てくるに違いないから
指導者たちは、もっと大きな政治組織の維持のために、そのような内輪の殺し合いが広がるのを制限しようとするので、復讐は公平であるべしということがしばしば倫理的規範になるとしても、少しも驚くことはない
このように、報復的な正義が倫理上よしとされる理由の一部は、調停者の自己利益のため
しかし、それ以上に、復讐において厳密に平等であることは、しばしば、復讐者本人に最大の利益をもたらすようだ
やられたことと同じことをやり返すことの冷めた満足感は、すなわち、結局の所、社会的交換に特化した進化アルゴリズムを反映している
しかし、血縁者でなくても、血縁者同士ほどの固い結束ではなく、もろいものであっても、協力することはできる
自己利益のために相手を裏切る機会があるにも関わらず、そのような協力行動はどうやって進化できるのか
1回限りの囚人のジレンマゲームの最良の手は「裏切り」
両者にとって利益となる協力的な「契約」に到達することができないのは、彼らが「交渉」できないから
交渉ができないということは、裏切りを罰することによって協力を強制することができないという意味
1回限りでなく、何回もゲームをすると考えると、両者は互いに相手に近づく手段を持つことになる
「しっぺ返し」戦略はもっとも単純な戦略だが、アクセルロッドとハミルトン(1981; Axelrod, 1984)が証明したように、複数回行う囚人のジレンマゲームの最も優れた戦略だった 自分自身と強さがほぼ同じであるような相手と長期にわたって交渉が続くことが見越せる場合には、そして、その交渉の関係が協力的か競争的かである場合には、最良の戦略は「目には目を」的なものであると考える理論的な基礎が存在するのである
名誉ある解決
ときには一度だけの報復殺人で血讐に決着がつく場合もある
多くの著者は、通常の血讐はそのようにして終わると主張している
しかし、関係者たちは、受けた損害と報復とが見合っているかについて意見の異なることも多い
そこで宿恨が生じる
宿恨が永遠に続くという言い方をするのはよくあるが、少しばかりの誇張があるのではないかと疑われる
宣教師や植民地主義者たちは、自分たちの「文明化された」活動に高尚な倫理的基盤があることを示すために、宿恨を含めて、現地の伝統的な風習をことさら野蛮に描く傾向があった(たとえばSonne, 1982) 長く続く宿恨は双方の力を弱め、競争している血族の双方が属している、より上部の政治組織をも弱めるもの
そこで、宿恨をもっている血族に属していても属していなくても、宿恨を仲裁することによって利益を得る人間は多数存在する
大事なのは面子をつぶさないようにして問題を解決するように交渉すること
適切な調停があれば、最初の報復ですらせずにすませることもできる
もっと大きな共同体の目からみれば、最初の殺人が起こったのは無理もないことに思えるので、犠牲者の親族ですら、それは正当であったと認めて復讐を諦めるよりほかない場合もある
例えば多くの民族誌によると、妻殺しに対しての復讐はあるが、妻が不倫で殺された場合には復讐はしないことになっている
最初の殺人が挑発にもとづくものではあるが、それを正当化するまではいかないという場合には、物質的な補償ですませるような交渉が行われることがある
しかしながら、犠牲者の親族にとって金銭を受け取った復讐を諦めるのは、しばしば不名誉なことであり、家族の忠誠を金で買ったと思われやすい
すべての殺人には復讐がなければならないというのは、国家以前の社会がしばしばもっているイデオロギー
しかし、死が間違いなく他の人間によって引き起こされたものである場合にも、そのイデオロギーがつねに守られるとは限らない
多くの社会の年代記作者たちは、もともとの殺人が意図したものでなかった場合には、復讐の代わりに賠償金を受け取るのが普通であると述べている
意図して行った殺人においては、賠償金は、報復殺人が行われたあとではじめて可能となる
これらの習慣や態度があるということ自体、報復するという自分の意志と能力とを社会的に示すことが問題なのだということをよく示している
昔の法典の大部分、ときにはそのすべては、殺人賠償金の特定にあてられている
たとえば、ハウェルズ(1954)の『ヌアー法便覧』は、他の何よりも多くをこのことに当てている しかし、このような法律があっても、個人的な交渉の余地がないわけではない
その伝統的な手続きは手が込んでいて、支払いには権威と威厳が付与されている
トレストン(1923)は、ホメロスの叙事詩の中に、古代において二つの相矛盾する法的伝統が葛藤を起こしている証拠を見つけた 有罪性は個人にあり、殺人者本人を処刑せねばならないという伝統と、より部族的な贖罪金の伝統
加害者親族が被害者親族に賠償を払うという後者の伝統は、確かにホメロス以後も何千年にわたり、ヨーロッパと中近東にあまねくみられたものだった
ハーディ(1963)の『中東における血讐と殺人賞金』は、イスラム以前からオットマン、シリア、レバノンその他の法定まで、アラブ世界における殺人賠償金の変化の歴史をたどったもの 殺人賠償金がどのように決められるのかを量的に分析すると、書かれた規則には面白い変異が見られる
スーダンのヌアーは、被害者の性にかかわらず同じ数の家畜を割り当てているという点で、牧畜民の中では例外的 ハーディ(1963)は、イスラム世界全域において、助成に対する贖罪金は男性のそれの半分だと示唆しているが、彼が引用している2人のベドゥイン判事とのインタビューによると、そういうわけでもないらしい 実際の事件を材料にして、一つの社会内部での賠償金の変異をみると、さらにいろいろなことがわかる
階層化された社会ではしばしばみられることだが、賠償金は、被害者の社会的な地位に比例している
さらに、実際に支払う段になると、理想的な規則から外れる傾向がある
ポルガホフ=マルダー(1988)が、キプシギスの婚資はたてまえ上は一定のものに決まっているにもかかわらず、花嫁の繁殖価が上がるほど高くなっていることを示した コンティーニは、ソマリの「標準価格」について述べているが「被害者の年齢、性、社会的地位」を考慮に入れた長々しい交渉を描写している 失われた復讐
北アメリカの社会は「脱個人化された正義」の状態に到達した
復讐、賠償も求められず、法廷に代表者を送ることもできない
工業化された西欧社会の個人主義的イデオロギー
伝統的部族社会では、殺人者の親族集団から被害者の親族集団へと賠償金が支払われる
現代の法律制度は、分散された責任の概念をとってはおらず、有罪性が殺人者個人に限定されているのと同様、被害者の役割も、殺された人だけに限定されている
「復讐」が汚い言葉になってしまったというのは、私隊tの社会に特有の奇妙な事実
スーザン・ジャコビー(1985)は、ナチ収容所の生存者やその他の暴力の犠牲者が復讐を求めていると非難されたときに、それを儀式的に否定する言葉を引用している ジャコビーは、正義という概念そのものの本質的な要素が復讐であり、復讐動機を否定し、それを悪しきものとすると、一貫性のある正義の哲学とその実行が不可能になってしまうこと示している
現在ではなぜ復讐動機がこれほど低く見られているのか
このことは、伝統的な価値観の驚くべき転回を示しており、その転回は、刑法システムが徐々に被害者の権利を剥奪していったことと、もともとは密接に関連している
責任の考え方、刑罰のあり方、被害者の遺族が関与しないことなど、現在の私たちが殺人を扱うやり方がなぜこうであるのかを理解しようとするにあたって、法律の目的に関する何らかの一貫した倫理の理論からそれを演繹しようとしても、その理解は得られないだろう
現代の殺人に関する法的責任のあり方は、対立する利害とその解決のいくつもの歴史的段階を経た後の産物として理解すべき
イギリスの法律における血縁者の権利の凋落
イギリスの法律で記録に残っている最古のものは、西暦602年にケントのエセルバート一世が制定したもの
ほとんどすべてが様々な不正に対する賠償金の特定
エセルバートのものや、その他の初期の法典は、新しい法律を導入したものもあるが、多くは既存の慣習を明文化したものである
階層別に分けられた贖罪金は、ゲルマン諸族の間で何世紀にもわたって行われてきたもの アングロサクソンその他のゲルマンの法律では、贖罪金の支払いと受取りとは父方と母方の両方の親族を通じて行われ、払うときも受け取るときも父方がその3分の2にあずかった 同じことはウェールズの法律にもみられるが、厳密に2対1にするというのは、アングロサクソンの侵入者がもたらしたものであるかもしれない
アイルランドその他のところの記録から、ケルトの贖罪金もゲルマンと同様に、長らく父方と母方の双方が関係していたことが明らか
このことは、厳密に父系のシステムにおける「信用組合」であるところの、名前を持った父系親族またはクランとは対照的に、個々の事件において、本人を中心とした特別の親族の集まりがそのつど構成されたことを意味している(Lancaster, 1958) ゲルマンの贖罪金の伝統において、エセルバートの法律その他の七世紀のイギリスの法律の顕著な特徴は、当時のイギリス社会が、すでに封建制に向けてどれほど動き出していたかを、間接的に示しているところにある
例えば、贖罪金を払ったり受け取ったりする親族の範囲が、スカンジナビアでみられるほどに狭くなるのは、その何世紀もあとになってから(Phillpotts, 1913) さらに賠償を払わねばならない側は、血族ばかりでなく、近縁関係にない領主をも含むこともあった
ウェセックスのイン王(690年頃)の法律の第74条(Attenborough, 1922)ではすでに、封建領主の義務と権利が血族の関係に割り込み、ときにはそれを凌駕し、ある程度は、それに替わるものとして認められていることが明らかである この法律から明らかなもう一つのことは、特別の贖罪金が決められていたとしても、血讐がなくなったわけでもなければ、違法となったわけでもないという事実
しかし、復讐の殺人が正当だとみなされたのは、贖罪金が支払われなかったときのようだ
殺人は「王の平和」に対する冒涜だった
王が支配できるのは、競争関係にある家族同士を、一つの旗のもとで連合したよいと説得できる能力があるからなのであり、その臣民に安全を保証する能力があるからこそ
自由な臣民を殺すことは、王の保証を覆すことになるので、ことさらに王に対する犯罪だった
しかし、エセルバートの時代と、それ以後も長い間にわたって殺人は実質的には私犯だった
殺人に関しての王の正義が新しく上位の地位を持って登場するのは、1066年のノルマン征服以後
ウィリアムは、被害者の親族の権利を完全に剥奪したわけではないが、私的な復讐を違法とした
実質上、殺人に対する報復が、防御の方法としては認められなくなった
被害者の領主または親族は、殺人者の親族と賠償金の交渉をすることはできたが、もっと暴力的な復讐を欲するならば、真に合法的なやり方としては、裁判に訴えるのが唯一の道となった
ノルマンの侵入以前には、morth(殺人)という言葉は、殺しの中でもこっそりと行われた殺しという、特別にたちの悪い殺しを意味していた
クヌート王(1016-1035)は、普通の殺人は血讐または贖罪金によって決着をつければよいが、morthは、殺人者自身を被害者の家族に引き渡す必要があるとしていた
morthがもっともたちの悪い殺人とみなされたのは、自分の素性を隠すことによって、殺人者が正当に賠償するべき贖罪金や血讐を免れようとしたということにあった
ウィリアム一世は、殺人の意味を、今日の占領軍のようなやり方で変更した
彼はノルマン人が殺されたときには、地域の集団全体にその責任を負わせた
殺人は、加害者がイギリス人であることを証明できない場合、つまり、ノルマン人ではないことを証明できない場合には、百人組(地域集団の行政単位)がmurdrum(殺人金)という特定の罰金を払わねばならなかった
murdrumというのは実際には贖罪金のたぐいであり、イギリス人という民族全体から徴収されるものであった
王の正義を実行することは、ウィリアムの息子であるヘンリー一世が巡回裁判を設置することによって、さらに強められた
巡回裁判は、あらゆる不正に対して罰金を取り立てることが主要な関心であり、それが王の主たる財源だったので、重荷であった方が大きかっただろう
王権は殺人者の財産を没収することができたので、厳しい捜査が行われた
各地における王権の代理人である検屍官(coroner)は、すべての死亡を捜査する義務があり、巡回裁判の裁判官はその記録を参考にした
彼の後継者は絞首刑を好んだ
12世紀までには有罪が確定するとすぐに刑が執行されるようになり、しばしば、巡回裁判の裁判官たちの目前で行われた
実際にはほとんどの殺人者が様々な方法で絞首台を逃れた
巡回裁判に出頭しなかったときには、厳粛にアウトローであることを宣告され、財産はすべて没収され、死刑が言い渡される
ギヴン(1977)による、13世紀の巡回裁判の記録の分析をみると、ほとんどはこの運命になった 起訴された3492人のうちの1444人(41%)がアウトローとなり、944人(27%)が無罪となり、たった247人(7%)が死刑になった
裁判官が恩赦を願いで、その場合にはたいてい、王による特赦が得られた殺人者もいる
あるものは、相当な額を払うことによって、裁判が始まる前に王の特赦を得た
ギヴンの記録では、特赦を受けたものは全体で56人(1.6%)しかいない
もっと多くのものが「永久に故国を捨てる」ことが認められている
港まで護送されて出港した
ギヴンの罪人のうちで故国を捨てたのは258人(7%)
聖職者の特権によって死刑台を逃れたものもある(78人、2.2%)
僧職にある者は、死刑を含まない宗教法廷で裁かれる権利があるというもの
誰に僧職の特権が認められるかといえば、単に文字が読めるが、詩編を暗唱できるかといったような簡単なテストによっていたので、教育のある階級は一度の犯罪は許されていたのである
「熟考の上での意図的」殺人でも、1512年までは僧職特権が認められており、故殺は、もっとあとまで認められた
僧職特権が完全に廃止されたのは、やっと1827年になってから
では、被害者の遺族はどうなったか
ノルマン征服のずっとあとまで、彼らは加害者の親族との交渉を少なくとも時々は続けていた
しかし、正式な贖罪金の痕跡はもはやない
12世紀、13世紀における合意の記録によれば、殺人者のみが支払わねばならない、人の命の値段の処方は存在しなかった
被害者の親族が続けて控訴し続ける事のできる権利
被上訴人は捕らえられ、次の巡回裁判まで牢獄に留め置かれるか、上訴審に出頭しないことが何度も繰り返されると、アウトローの宣告を受ける
もしも上訴に答えれば、陪審による裁判科、上訴人との決闘か、という二つの選択肢を与えられる
決闘を選択したものはほとんどいないようだが、それは決闘して負けるような人間はもともと上訴しなかったからであるかららしい
ほとんどの上訴は女性によって行われているが、彼女らは自分のために闘ってくれるチャンピオンを指名することができた
このような状況は明らかに不公平であったので、上訴する権利を持つ女性は、最終的には、殺された者の妻のみということになった
王の特赦があったとしても親族が上訴する権利がなくなったわけではなかった
特赦は王自身が起訴をやめるというだけのことであり、もしも被告が上訴された場合には、裁判に立たねばならないと明記されている(被害者の領主またはその家臣も上訴することができたが、そうした例はまれだったようだ、Hurnard, 1969) 1300年までには、ほとんどの上訴が、訴訟手続の上で無効とされるようになっていたようだ
賠償で両者が合意に達しても、上訴を取り下げて賠償を正当に払うようにするためには、双方ともに高価な王の許可書を購入せねばならなかった
そこで、上訴などせずにことを解決したほうがよかったのである
ハーナードは、王の特赦があるにもかかわらず、上訴を受けたものが実際に逮捕され、裁判にかけられて処刑された例は、たった一例しかみつけることができなかった
「家族が告訴を行うことができるという、古くからの権利が守られていたというのは、ほとんど幻想といってよいだろう」
エドワード一世は、殺人事件を処理するウェールズ人のやり方に驚きあきれ、1284人にそれを違法としたが、デイビス(1969)が示しているように、少なくとも1400年まではかなり洗練された形で維持されており、痕跡的には、それよりずっとあとまでも続いた
しかし、封建的なつながりと血縁のつがなりとは、競合していた
ウェールズ人の被害者の領主は、通常、殺人者の家族が支払った24ポンドのうちの8ポンドを受け取っていた
スコットランドでは、一族間の宿恨はさらに長い間にわたって健全であった
15世紀から16世紀にかけて、多くの「殺されたものの手紙」が残されているが、それは、殺された者の親族が、適切と思われる賠償金を全額受け取り、それゆえに血讐はもう行わないということを確認する書類
イギリスの王たちは、スコットランド人に自分たちの法律をそれほど強く押し付けたわけではないので、初期のノルマン人のイギリスにおけるアングロ・サクソン法の場合と同じく、古いシステムは新しいシステムとともに存続し、徐々に力を失っていったのである
脱個人化された正義
親族の結束が薄れ、中央権力が強くなっていったところではどこでも、宿恨と贖罪金はすたれていった
イギリスで早くこの過程が生じたのは、イギリスの経済が、牧畜と交易と略奪よりも、穀物農業と土地所有に完全に依存していたからなのだろう
土地の所有こそが唯一で最重要な資源であったので、親族関係に似せて作られた封建的なきずなが、個人にとってもっとも重要な社会的つながりとして、親族関係自体にとってかわるようになった
土地と称号の相続が長子相続であったため、二番目以降の息子たちは、軍隊や僧職で身を立てることとなった
兄弟は離れて住むようになり、自分たちの利害が共通しているという認識は薄れていった
封建的な身分制度の中では、親族は、必ずしも財産というわけではなかった
国家がなぜ、被害者―復讐者の役割を取り上げることができたかの第一の理由は、この役割が、しばしば権利であるよりは重荷であったから
人々は復讐の義務から解放されてほっとしたのであるが、それは、彼らにかわって国家が敵を罰してくれて、それ以上の悪い行いが広まることはないと信頼できるからであった
アングロサクソンの王たちと同様、現代の脱個人化した正義の信奉者は、一般市民に、社会契約を提供している
自分自身の力のみを頼みにしてきた人間に、個人的な復讐という脅しを諦めさせるのは、微妙に難しい仕事である
この問題は「名誉」の問題だと認識される
アメリカ大統領であったアンドルー・ジャクソンの母親は「法律は、真の男の感情を満足させるような処方を与えることはできない」と言ったと伝えらている(Rogin, 1975) 私たちはここにおいても、やはり、人々がもっている進化的動因に注目することは、大いに役立つだろうと考えている
犯罪事件における原告と被害者の役割を、脱個人化した国家がどれほど演じるようになろうとも、傷つけられたのは生身の人間
警察や検察のもっている資源には限りがあり、何らかの未解決の殺人や、準備のよくできていない起訴を、他の事件よりも熱心にとりあげることは十分にある
もしも、個人の利益が未だに入り込む余地があり、正義が平等に行われるのでなければ、システムは、力のあるものの利益を守ることになるだろう
被害者の地位に応じて加害者の罰が決まるということ
北アメリカでは、地位の高い人物を殺した犯人の方が、何の地位もない人物を殺した犯人よりも厳しく罰せられることは確か
私たちの1972年のデトロイトにおけるサンプルでは、他の犯罪行為に伴って生じた殺人ではなく、男性が何らかの社会的対立の間に、血縁関係にない男性を殺したという、ごくありふれた殺人121件について、最終的にどのような結末になったかがわかっている
57人の加害者(47.1%)は、その殺人に関連したいかなる罪でも有罪となっていない(56件が主に「正当性がある」、「許すことができる」、「自己防衛である」という理由で不起訴、1件が裁判で無罪)
有罪となった64人のうち、第一級殺人で有罪なのは2人のみ、第二級殺人が12人、故殺が34人で、残りはもっと軽い罪
どのような判決が下されているかに関する、このようなデータはほとんど公開されておらず、実際に何年間刑務所にいたのかについては、さらにデータが少ない
逮捕された殺人者に対して実際にどのような刑が執行されているのかの統計を誰も知らない
司法システムが殺人に対してどう反応しているのかを世間が知らないということは、ある特定の事件が起こった時に、それに関する報道が爆発的に増えるときに、もっともよく表されている
終末患者であった妻のエミリーを射殺し、仮釈放のない懲役25年の判決が下されたロズウェル・ギルバートの事件
世間の同情を買ったが、そのすべては、ギルバートの受けた判決が、司法システムがどんな殺人でも、非常に恐ろしい行いだと断じていることの現れと仮定して論じられているようだ
ウィルバンクスの1980年のマイアミの殺人に関する研究によれば、解決した殺人の大部分はまったく懲役刑にはなっていない
ギルバートが受けたような刑は、全体のたった8分の1
実際のところ、殺人その他犯罪に対する国家の反応の重大さを非常に誇張するような、なかば公的な政策が広まっている
死刑宣告は本当の死刑ではない
カナダでは、刑期の3分の2以上をつとめたあとでは、ほとんどが「保護監察」のもとに釈放される
本当の判決が名目上つねに50%ふくらまされているということ
仮釈放は判決をさらに軽減するもの
このようにシステマティックに情報が歪められている理由を説明するのに、大げさな陰謀のようなものを持ち出す必要はない
司法と警察の権威は、刑務所をなるべく空にせねばならないという経済的圧力と、犯罪は厳しく処理せねばならないという政治的圧力という、相反する圧力のはざまにいる
刑期はなるべく短くし、その事実は公表しないという以外に、彼らが取れる方法があるのだろうか
カナダ法務次官局が制作した報告
「判決を軽減するために仮釈放が必要であるのは、もしも判事が正確な懲役年数を決める全責任を負うことになると、世論の圧力によって、判決を厳しくせざるをえなくなるからである。仮釈放は、したがって、刑罰を軽減する目に見えない行政措置である」
もし刑罰の抑止効果を真剣に取り上げるならば、重要なのは、一般大衆がこれらの刑罰の厳しさを知ることであって、実際にどれほどの刑罰が行われるのかではない
犯罪者に課せられる刑罰がうそのように誇張されていることは、それゆえ、犯罪に対する闘いにおける有効な戦術
しかし、このことは、そのような意図そのものよりは、せいぜいのところ、情報を誤って伝えることにともなう偶発的な利益に過ぎない
単純な事実は、一般大衆の知識の正確さを向上させても、司法も警察も得るところはなにもないということ
法律によって刑罰を課すということの哲学と意図については、膨大な量の文献がある
多くの著者は、公衆の安全、報復、抑止、そして矯正を区別してあげている
最後のものは、もっとも重要でないとしてさっさと却下できるだろう
現在の刑罰システムがこの効用をまったく果たしておらず、それを目指していることもめったにないということは認めねばならない
このような主流の立場はうまくいかないだろう
私たちの目的が犯罪の抑止であり、精密に測られた報復ではないのならば、潜在的な殺人者をもっとも魅了する犯罪をこそもっとも抑止し、もっとも厳しく罰せねばならないことは明らかだ
もっともありえそうな犯罪である、男性が男性を殺すことの方を、男性が女性を殺すことよりも厳しく罰するべきか
乳児殺しの方が、もっと年上の子どもの殺人よりも厳しく罰せられるべきか
報復を認めず、刑罰の犯罪抑止効果に重点をおく人々のほとんどは、これらの提案には賛成しないだろうと思われる
「正義」という言葉でだれもが考えるのは、犯罪の重さに応じた罰が課せられること
人が量的に見合った報復的正義を求める感情の裏にある究極の機能は、よく犯罪を抑止すること
それがそのような感情が進化した理由なのだ
感情は、祖霊自体が目的化してしまっており、それが進化で作り出された人の心理
正義を求めるという私たちの願望は、本質的には報復の願望